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前田勉『江戸時代における学校構想で考える“学校”と“教育”』

※「変棚」ということで、何か一冊の本を紹介するコーナーで“あるべき”なのであろうが、きっと変人類学研究者の方々は“あるべき”を疑い、時に逆さまにひっくり返すくらいのことすら、彼等にとっての“あるべき”姿(その“あるべき”姿を形作ろうとするエネルギーが一瞬たりとも“あるべき”姿を固定することを許さないようなものであることを期待しながら第6回Rootsを楽しみにまっていますが)なのであると、勝手ながらこのように受け止めて文献の紹介はいたしません。とはいえ、何か世に刺戟になるものを提供できればと思うので、第5回Rootsのテーマである「江戸時代における学校構想で考える“学校”と“教育”」という話題と、実際のイベントで私が感じたことを交えてまとめて行きたいと思います。

●江戸時代に学校はあったか
 今回のイベントで参考文献として取り上げさせていただいた前田勉先生の論文の冒頭には、「江戸時代、多くの学校があった。」とある。この冒頭の一文になにを思うか。あるいはなにも考えずに読み飛ばすか。私は、「そんなこと言っちゃっていいのか?」と疑った。手習塾(寺子屋)は学校と言っていいのだろうか。と、ここでそんな自分自身を反省的に振り返ってみる。手習塾(寺子屋)は学校ではないのではないか、ということを疑ってしまうということは、別の「学校像」が自分のなかで知らず知らずのうちに出来上がってしまっているのではないか、と。この知らず知らずのうちに出来上がってしまった「学校像」が今回のイベントで提示させて頂いた、私たちが学校をみる「眼鏡」である。私たちの学校のこれからを考える上で、この「眼鏡」を付け替える作業が必要であると考え、それを今回のイベントの参加者への課題とさせて頂きました。

●「学校」はなぜ「教育の場」であり得るのか
 「学校」=「教育の場」というのは本当に成立するのか。いわゆる「教育問題」はそのほとんどが学校の中、あるいは学校との関わりの中で起きていて、そのために悲しい想いをする子どもたちがいることを私たちは否定できるだろうか。この事態を巻き起こす学校を私たちは教育の場としてよいのだろうか。
 いやダメだ。学校はもはや教育の場としておいてはならない。そもそも教育は学校教育という狭い枠のなかで営まれるものではないのだ。ということを主張したいわけではない。そうではなく、学校のどのような性質が種々の問題を引き起こしているのか。さらに言えば、学校がもつ種々の性質によってもたらされるそれぞれの事象のうち、どれを自分は問題ととらえるか。といったことを教育者となる立場の人間が考える必要を感じ、今回の主発問とした。

●学校教育制度のない時代に生きた人物の学校構想
 今回のイベントの課題の一つである「学校をみる眼鏡を付け替える」ということを達成するにどうしたらいいか。そのための一つのアイデアとして提案したのが、おそらく現代に生きる私たちとは違った眼鏡で学校をみているだろう人の学校構想を見てみることであった。近世初期の儒学者山鹿素行と熊沢蕃山である。彼等なら、「学校はなぜ教育の場であり得るのか」との問いにどのように答えるであろうか。

 彼等はどのような立場で学校の必要性を説いたか。
 学校で教育する対象は誰だったか。
 被教育者をどのような存在としてとらえていたか。
 学校で教育することは何に対して効果的だったのか。
 その効果を得るに相応しい学校の性格とはなんだったのか。

などなど、考えられることは無数にある。今回取り扱った論文一本では到底つかみきれないだろう。ただここで言えることは、(私が言えると思うことは、)素行にしても蕃山にしても、彼らは学校によって創り出される社会に何らかの価値を感じており、そしてこの価値に普遍的な根拠づけは出来ないものであるということである。

●「人」はなぜ教育をするのか、ではなく、「私」はなぜ教育をするのか。
 素行と蕃山の学校構想を検討した後、参加者の皆さんには先の問いに自分ならどのように答えるか考えていただいた。あえて3人組で一つの意見にまとめるよう要求したが、はたして100%納得して3人の意見をまとめることができたであろうか。また、他のグループの意見に100%賛同できただろうか。素行や蕃山の学校構想に納得しきれない何かを感じた様に、同じ時代を生きる同世代の人の考えにも納得できないという事態が起こる。このことを私は肯定的に捉えたい。
「学校はなぜ教育の場であり得るのか」を感がえるには、否が応でも「教育とはなにか」「教育は何にむかって行うものか」を考える必要がある。教育者が自分自身で考える必要がある。一人の教育者が教育の目的を自分の中に作り出す必要がある。つまり、「学校はなぜ教育の場であり得るのか」の問いに対する回答はそれぞれ違ってしかるべきであると考えるのである。
教育の目的は国が決めるものでもなく、社会が決めるものでもなく、また子どもが決めるものでもない。目の前の子どもをどのように導くかは、当事者たる教育者自身が決めるもの。「これからの時代の教育のあり方」は、えらい学者が予言するものではない。今この瞬間をよりよくあろうとする主体的な個人(教育者)が創り出そうとして、また次の瞬間にこれを解体し改良することを繰り返していく中で、なんとなく向かっているような、ぼんやりとしてアバウトな指針でしかないように思う。そんな先のことに実態があるかすらわからない。であるがゆえに教育者は主体的であれるのではないかとこれまたぼんやり考えているのである。
 「私」はなぜ教育をするのか。を問い続ける姿勢を持ちたいと思う。

文責:香山太輝