【第6回Rootsが終わりました!】
第6回Rootsがおわりました。今回は、変人類学研究所主任研究員の小林拓哉さんがプレゼンターとなり、変人類学研究所のホームページの「変人類学論考」を用いながら「変人」について考えました。
まずは、変人類学研究所とはなにか?という説明からはじまり、その後に変人類学論考にある〝「凡‐固/変‐動」で示したような「固定と動を螺旋状に繰り返す社会」の実例を一つあげて説明してください〟という問いについて個人やグループで考えていきました。
〝「凡‐固/変‐動」で示したような「固定と動を螺旋状に繰り返す社会」の実例を一つあげて説明してください〟について、例えばこんな意見が出ました。
・日本の雇用形態
・Macを使う人々
・スマートフォン
この問いに関しても、そもそも問いの中にある「社会」の捉える範囲が人に寄って違ったり、螺旋状とはどういう状態か?について議論などが飛び交いました。私自身、社会という言葉をものすごく大きなものとして捉えていたのですが、こうやってRootsに足を運んでくれている人たちとできているコミュニティは社会ではないのか?との意見もあり、意見の多様さがおもしろかったです。
この問いから始まり、様々な議論が出たのですがその中でも印象に残ったものを書いていきます。
①変人に、人はどうしてついていくのか。
変人は凡人を洗脳するのがうまい。詐欺師みたいなものだ。でも、実行していくから詐欺師ではない、という意見がありました。まさに私の周りの人がそうで、そのどこからか来る、絶対的とも言える自信に、凡人は魅了されていくような気がします。でも、話にもあったように実行していくためには凡人の力も必要ですし、変人も凡人もお互いなくてはならない存在のため、変人が凡人によって消化されていく上述したような動きは変わらないんだろうな、と思いました。
②個々の変人度があがっても、意味がない。それを受け入れる環境をどう整えていくか。
多様性教育、ともつながってくる気がするのですが、1人変人がクラスにいたとして、その子が浮いてしまい、いじめにあう、という状況にならないように、どう環境を整えていけばいいのか。自分の経験を振り返ると、変人に出会った時、私の周りには「いいね」と言えるような環境があった気がします。壁をつくらずに、まずは受容してみる。受容できるかどうかって大きいんじゃないかな、と。でも、そこで終わるのではなくて、受容からの自分と相対化してみることが必要、いいねで止まるのは一番危険、とプレゼンターの小林さんと話をしました。たしかに。
今回のRootsでは、今まで一緒に会づくりに携わっていただいた変人類学研究所さんをテーマとしてあつかいました。会を通して感じたのは変人類学の可能性でした。様々なテーマにも繋がると思いますし、教員になったとき必ずいきてくる研究だなと思いました。プレゼンターの小林さん、ありがとうございました!
文責:松島響子