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変タビュー

谷村一成さんインタビュアー:山本美穂、大川莉果


中央大学変人学部とは
中央大学の学生から「変人」を生み出すために活動する学生有志のサークル。様々な分野で活躍する現役学生が「教授」(変人教授)となり、「授業」を行う。受講者は中央大学の学生。学生が学生に対して「授業」をすることで、これまで一歩踏み出せなかった人に「自分でもできるかもしれない」という勇気を与える。「変人教授」たちは受講者にとって「身近なロールモデル」となり、新たな「変人」を生み出していく。

《参考》
・中央大学変人学部HPはコチラ
・中央大学変人学部Facebooはコチラ
・中央大学変人学部Twitterはコチラ
      

2018年3月より谷村さんと同じ研究所に所属することになって4ヶ月が経過した7月29日。3日間で1万人以上のもとへ拡散された「I am 変人」の写真にうつる谷村さんの「変えたい」、「変わった」、「変らない」意識とは何か。変人学部創設までどのような人生を歩んできたのか。それを探るべくわれわれは渋谷へと足を運んだ。

変人学部創設は夜行バスでなんとなく

(変人学部は)2016年の4月5日につくったんだけど、その日に思い付いたの。その日の夜行バスで実家から東京に帰ってる途中に、思いついた。眠れなくて。今日から三年生になるけどなんかしようかなって。その日の朝、新宿に着いて、そのまま学校に行って、学校にいたやつらに「俺こういうの作ろうと思う」って話して、「おお、やろうやろう」ってなった人たちと一緒につくった。その日のうちに20人くらい発起人集めて。

学部3年で思いついた大学への問題意識

主体性のある学生、後輩から、「高校生までは全部先生の言う通りにやってれば優秀だった(けど大学ではそうはいかない)。」ってよく相談されて。(その人たちは)良い大学に行ったり、良い成績が出たり、スポーツや部活で良い結果出たりしてたわけ。だけど、大学生になって「あのサークル自分で選んでください」、「授業も自分で選んでください」、「将来のことも自分で選んでください」って突き放されるわけじゃん。で、「どうしたらいいんですか」、「何したらいいんですか」って路頭に迷って。そして、とりあえず楽しそうなサークル入って2年間酒飲んで、合コン行ってナンパして、まあそういうのが悪いわけじゃないけど。
それから、3年生になって就活の時になって困る。「なんもしてないどうしたらいい」って。やりたいこともない、行きたいところもない、っていう人が多すぎて…。そしてその問題は、自分で主体的に選択してないからだと思った。

中央大学から社会を「変えたい」

大学への問題意識から、大学や学生、社会はどうすれば「変わる」のか。主体的に選択できている人はどのような学生か。そこで気づいたのは、大学が提示する「理想」の道ではなく、自ら異なる道を歩んだ「変人」の存在だった。

(主体的に選択できている人は)いわゆる中大の中でアウェイっていうか、アウトローって言われる人たち。中大が敷いてるレールを選択しなくてもいい、自分で頭抱えて判断して、その道を進んだ人たちだった。だから、そういう学生をモデルとして先生になってもらって、その人たちが(あらゆるものごとを)どう考えているか、今どういうことを考えているかを話してもらって、先生になってもらう。そいつらを「変人教授」にして、授業してもらうっていうのを思いついたわけ。だからサンプル。いろんな選択肢があるっていうのを知ってもらったら、学生は「こういう風にできる」って(思うようになる)。しかも同じ中大生だから、なんか有名な東大生とかどっかの社長呼んで来たらさ「いやこの人はこういう人だから」って終わっちゃうじゃん。けど同じレベルの中大生が自分の頭で考えてこういうことをしてるっていうのを見せるっていうことは、「あ、自分でもできる」っていう自信にもなるし、逆に自分にできてない言い訳できないし。

「変人授業」から触発され、行動する学生たち

教授としてふさわしい人を常に探しながら、大体月に一回くらい授業してて、多いとき週に一回とかやってたけど、基本は月に一回。そこで、本当にYouTuberやってるやつとか、デザイナーで服作ってるやつとか、会社作って起業して経営してるやつとか…色んな子達が話をして。参加者はそれだけで刺激になって、来てた子とかが二年後とかに教授として戻ってくるとか、そういうのうれしかったね。あとは、受講生同士とか聞いている人としゃべったりで盛り上がって新しい団体作ったりとか。(変人学部は)そういうプラットホームみたいな役割になってるね。

大学の雰囲気が「変わった」

中大って「行動する知性」っていうスローガンあるの。「学校で学んだ知性・知識を生かして、社会に対して行動していきましょう」ってやつ。俺それすごい好きなんだけど、でもね、逆でもいいんだよ。社会に対して行動したことを生かして、またそれを知識として学んでいく、そういう循環じゃん。だから、中大って基本的には大学での学ぶ知と、実際に社会に対するアクションも両方大事で両方循環しているものだと考えてるから、俺はそれをただやっているだけ。だから、学校の方針にそぐわないわけじゃない、って学校側にも言ってる。大学としては把握しきれなかった人達を(こちらが取り上げてる)。でも大学は、いわゆる弁護士とかそういう「ルート」での社会に対する還元としか考えてないし…。でもYouTuberとして社会に還元しても良いわけだし。1年目はいろいろ難しかったけど、大学側も国際化とかでだんだん協力してくれるようになって、学校の雰囲気も変わったって。

変人学部から広がる世界

俺が卒業するタイミング(2017年3月)では、教授がだいたい60人くらい。1年間のトータル参加者が300人くらい、いやもっといるか。600はいたんじゃないかな。みんななんかしら、インターンシップ行ったり、会社作った子もいるし、海外行った子もいるし。後押しになって留学行ったりさ、なんかそういう感じで。(変人学部は)そういう場所になってた。

みんなと「違う」ことが好きだった幼少期

現在、変人学部はさまざまなイベントを通して外部へと活躍の場を広げている。その創始者は、学校や社会を「変えたい」という発想のもと行動し実践した。その影響力は留まることなく次の学年へ引き継がれている。では、谷村さんはいつから「変」である意識を持ったのか。あらかじめ準備された道から逸脱し、ものごとを「変える」エネルギーとはどこから湧いてくるのか。ここからは谷村さんの幼少期に焦点を当て、「変人」として生きることについて結びつけて考えていきたい。

いつから自分は「変」であることを意識してたんですか?

みんなと違うことに快感を覚えてたのは…小学生とかかな。一番覚えてるのは小2の時。みんなが魚の絵を書きましょうってなった時にみんな魚一匹単体書くんだけど、俺だけ「なんだこいつらだせえな」って思いながら魚だけではなく風景も書いて。みんなが宝物持ってきましょうってなったら、みんなはおもちゃで俺だけ図鑑みたいな。なんかそういう俺は「お前らと違うぜ」っていうことに快感を持ってたからねえ。でもなんでそう思ったんだろう(笑)

「変人」として生きるきっかけというか、タイミングはいつからですか?

俺も、なにがって言われたら難しい。最近思ったのは、うちの親が旅行とか大好きなこと。貧乏旅行なんだけど、テント立てて、野宿みたいにあちこち連れてかれたのね。そういう経験って、自分がいる世界じゃない世界を見る経験じゃん。変人類学研究所で俺が聞いた中で良かったのは、「フレームを外す、自分が普段いる場所じゃないところに行ったときに、そういう気質が生まれるよね」って話。小さいときから旅行してたから、「自分が今いる世界だけじゃない」ってことを意識してたのかも。自分がいる世界はこうだし、違う世界はこうだし…って違う世界があることを知ってるっていうのは、当たり前を疑える土壌だったのかなと。

権力者に歯向かう「イヤな」小学生

俺は小学生のころから権力者に歯向かうのが好きで。先生が言ってることを「なんか間違ってるだろう」って。小3くらいかな。必ず反発するというか。「廊下走っちゃダメです」っていう体育の先生がいたんだけど、「絶対こいつも走ってる」って思ったわけ。それからみんなで張り込んで、ポイントに行って。そして、(先生が)走ってるのを見つけて、「先生走ってるーーー!!」、「廊下走った人10秒ストップです」って言ったの。そういうルールあったからね。(先生は)すっげえ、イヤな顔してた(笑)

すぐ変えたがる、免れない反発

新しいことやるとか、今までのことを新しく変えるとかが好きで。小学生の時も委員会とかに入ると、小5から生徒会に入ってクラスマッチングのやり方変えようとか。すぐ変えたがる。でも、香川県民って基本的に変えたくない人たちが多くて、保守的な県民性で、「基本前年通りにしましょう」、「なんで新しいことやんなきゃいけないの」っていうのが多いの。「同じことやりましょう」っていうのが多い県だから、「すげえつまんないな」って。性格は良い人すごい多いの。だから乗せるの超大変。逆に「決まりました」っていったらすぐやる。だから嘘でも俺は決まったことにして動かしてた。だけど、そういう人たち「くそつまんねえな」って、毎回ぶつかる。小6では、児童会のシステムを変えたい。

中学生では、文化祭のやり方を根本的にかえようとして反発食らった。高校でも、体育祭のやり方変えようとか、生徒会いらなくね、とか。野球やってた時も、今までのやり方変えようとして…。いろいろぶつかるぶつかる。

熱中した野球から主体性を身につけた

谷村さんは、小学3年生から高校3年生まで野球に没入していた。大学では野球サークルに参加し、今も野球は「一番好きなスポーツ」だと明朗に話す。
 
野球の世界では「これおかしいから変えろ」って言っても、まあ無理だからぶつかって終わる。高校まで野球やって、大学はサークル。本気でやってたのは小中高だよね。俺がいたチームって、もともとは弱いチームで。監督も保護者がやっているので、知識や技術にも限界があるわけよ。でも、うまくなりたきゃ自力でやるしかないから、俺めちゃくちゃ本読み漁ったりとかして…。自分でやるしかないんだよ。練習とかも。知識も入れないと。強いチームの練習方法とか、うまい選手がどういうこと考えてるとか…。だから「自分で何とかする」っていうのは身についたのか、もともとあったのか。うまいチームのやり方知ってて、監督とは違った自分なりの意見があったから、「こうじゃねえよ」って喧嘩してた。

うまくなりたかったら「自分でなんとかする」

「強いチームってどういう練習をしているのかなあ」とかは調べもしないと思うんだよ、ふつう。それで終わる人もいるけど、うまくなりたかったからね。野球が好きで、勝ちたいなあって。甲子園行きたいなあって。だから自分で勉強する。

凝り固まる価値観から脱却し、変え続ける

谷村さんの話を聞いていると、どことなく自分の身体からエネルギーが湧いてくる。そして、不思議と「自分だってなんでもできるじゃん」と思えてくる。谷村さんは、幼少の時から何かを「変えたい」という直感をそのまま実践してきた。たとえ他者から「変人」扱いされたとしても、自分の「変えたい」という欲求が上回る。そんな谷村さんは、中央大学変人学部の創設で一躍有名になったが、この先も何かしら「変えていく」のだろう。そこで重要なのは、自身の世界を広げ続けることだと説く。

自分と違う人に対する興味とかすごいあって、だから変人学部の人たちって俺と全然違うことやってる人たちなんだよ。起業してる人はそういう人たちで集まりたいし、海外系の人は国際系で集まりたくて、そうじゃない人たちとの交流っていうとめんどくさがる人が多かったわけ。だから、必要性を説きながらいろんな人集めて。仕事をしてると職場の人だけで集まる人多いけど、「それじゃあまずいな」って思うし、やっぱり違う人たちに興味がある。

「ずっと同じ人たちと接してても凝り固まるでしょ、価値観とか。」

文責:大川莉果