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小林拓哉さんインタビュアー:青木七海、大川莉果

変人類学研究所のみならず、さまざまなフィールドで異彩を放つ小林拓哉さん。みんなから「こばたく」と呼ばれ親しまれている彼は、「この世界が今よりももっと面白くなったら。それを教育によってもたらせたら」ということを毎日大真面目に考えている。私たち2人は、彼の考え方やそのキャラクターに魅せられ、インタビューを依頼した。


〈所属団体〉
・株式会社LITALICO(LITALICOジュニア 教室長)
・NPO法人 東京学芸大こども未来研究所(教育支援フェロー)
・NPO法人 若者就職支援協会(キャリア教育事業部 企画室長)
・一般社団法人 Teacher’s Lab(Teacher’s School コーディネーター)
・変人類学研究所(主任研究員)
・東京学芸大学公認サークル codolabo(学外指導者)
・小林拓哉 Official site

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1993年1月、杉並区の善福寺で生まれた。(寺じゃなくて)そういう地名なの。生まれた瞬間が1番徳高かったと思う。
(大川)生まれて螺髪。
うん、本当にそんな感じだった。
(青木)そのまま記事になりますから。
やばいな(笑)

子どもの頃から「変わらない」コンプレックス

こばたくさんは、妹が2人いる小林家の長男。転勤族だったため、小さい頃から沖縄や福島、神奈川など引越しを繰り返したそうだ。幼稚園も転々としたため、卒園式のとき「小林拓哉くん、在園期間5ヶ月!」と大々的に言われ、母親が恥をかいたらしい。そして卒園と同時に転勤が落ち着き、彼は練馬区の小学校に入学した。

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中学受験したから、地元に通ってたのは小6まで。1、2年生と3、4年生と5、6年生で担任が替わるみたいな感じ。で、そのときにゲームキューブっていうのが任天堂から出てて。それが流行ってたから、ぼくは膨らましたら四角くなる紙風船をゲームキューブに見立てて、次に出る色を予想してたりしてた。だから結局、ゲームキューブはぼくには作れないからさ。だけどその新しい色を想像するみたいな。
(青木)このときからあるんですね、その「もじる」センスというか。
たぶんね、人がすでにうまくいってるやつを微妙にもじるくらいが限界なの。ぼくは、常に。
人のまねをする、人のものに一手間加える。パロディじゃないけど、そういう方が好き。だから、子どもの頃から結構クリエイターに対するコンプレックスはあった。なんかゼロから生み出すっていうのができなくて、アレンジを加えるって感じ。それは結構ずーっとね、コンプレックス。今も悩みとしてはあるね。キュレーションみたいな、モノを集めてくるみたいなのはできるけど、自分でまずゼロから作るっていうのはできない。模倣からじゃないと入れない。まねするのが好き。
(青木)ああ、なるほど。0から1というより、1があったときに、それを100とか1000にする…
とか、1をベースに0にまた引き戻すとか。そこは結構嫌われがちだった。なんか良い話とか出てきたときに、引き戻すような議論しがち。「だったら最初からお前が旗振りやれよ」って言われるんだけど、そう言われると、それはできない。批判はできるけど、何もなかったら何も言えない。…そんな感じの小学生だったね。

周囲の環境、そして自分自身も「変わった」—鬱屈とした中高時代

中学生のときに1人でずーっとやってたのが、当時ブログっていうのかわかんないけど、「前略プロフ」っていうのがすごく流行ってたの。ただ単純に自分のプロフィールを書くだけなの。ネット上に。
(大川)名前とか好きな食べ物とかそういう感じ?
うん。ただそれだけ。ほんとにそれだけ。それがどう機能してたのかよくわかんないけど、(自分も)それに乗っかった。ブログを自分で作って1人でずーっとこっそり、誰に見られるわけでもなく。そのときのブログのタイトルが「不条理な世の中」っていう。
(大川)不条理な世の中…
なんか鬱々としてたんだよね。中学高校はメンタルがったがただったのよ。だから、いじめとかもめっちゃしてた。友達の。いじめをしてたっていうよりはいじめの真ん中にいた。真ん中って言い方も、あの当時の人たちからすれば「お前真ん中じゃねえよ」って感じかもしれないけど、自分的には常に渦中にいるって感じ。中心っていうわけではないけど。トラブルメーカーの一部って感じ。

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当時のこばたくさんはどういう経緯でこの世の中を「不条理」だと思ったのだろうか。彼は小学生のとき、交友関係がうまくいかずに中学受験を自ら決意した。周囲の環境を変えたいという一心で受験勉強に励み、成績はみるみる伸びていった。その結果、偏差値65の人気男子校に見事合格。当時通っていた塾では、「ミラクルプリンス」と呼ばれ王冠を被せられたそうだ。
しかし、中学校に入学し周囲の環境が変わると、彼自身の精神状態は不安定なものに変わった。その主たる理由は「劣等感」だった。

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中学入ってから、成績がめちゃめちゃ下がって。ていうか、相対的にみんながめちゃめちゃ頭良いっていうのもあるんだけど、ぼく自身なんかもうエンストしたのか、もうやる気がなくて。だから全然楽しくなかった。でも、(学校は)辞めたくない。辞めたくないっていうか、辞めたらどうなるかが想像つかなかったから、しがみついたって感じ。当時は学校に対してめちゃめちゃ愛情、愛着があるってわけではなくて、むしろちょっと息苦しいというか、しんどいなって感じだったね。みんなが優秀すぎて。劣等感だったずっと。だからそれが不条理な世の中になったんだろうね。
(大川)その「不条理な世の中」では、その鬱屈とした気持ちを書いてたんですか?
うん。普通に不平不満をストレートに書いてた気がする。(具体的に)何を書いてたかとか全然覚えてないけど。
(大川)それで(自分の気持ちを)コントロールしてたり?
うん。行き帰りの電車に乗りながら携帯でこう打って。なんか発散するときは文字だったのかも。文章だったのかも。
(青木)ずっと文字書いてらっしゃるんですね、そう考えると。
そう。中高一貫校だから中高って部活、水泳部だったんだけど、ホームページ管理の長みたいな役職があって。その担当としてホームページにお母さんたちも見れるような一般公開のブログとかもやってたし。
(青木)いやでも、そんな中3とかでブログを書くことを思いつくっていう…
(大川)まわりでもいなかった。言ってないだけかなぁ。
なんだろうね。思考整理するときは文章だったね。整理してたのか、排泄してたのか。なんなのかわかんないけど、しゃべるか書くかって感じ。小学校で交友関係うまくいかないときとかも、夜に横になってずっと号泣してるぼくの話を母親がずっと聞いてくれるみたいな感じだった。だからわりと全部を顕在化する方だったと思う。内側にこもるっていうよりはわめく。今もそうだけど文句を言う。
(大川)今は別に文章だけではなくっていう感じですか?人にも伝えてっていう?
うん。でもやっぱりなんか、イラッとしたときに、やり場ねえなって思うとツイッターとか開きそうになるから、たぶんそういう感覚は未だにあるんだと思う。なんかどっかには言いたいんだけど、言う場がなかったらそういうネットの中に吐き出そうみたいな。

「国語の先生になろう」—高校生のときに出会った現代文の先生

こばたくさんは、中高ともに勉強へのモチベーションが維持できず成績不振だった。しかし、高校生になってから始まった現代文の授業が「運命的に面白かった」らしい。その先生との出会いから彼は「国語の先生になる」という将来の夢を抱いた。

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高校生になって将来の夢を考え始めたときに、「しゃべれる仕事がいいな」と思った。でも漠然と「何にもなれないな」って思ってたんだよ。(当時の自分が)頭悪すぎて。でも、高校生だったときに出会った先生が、運命的に授業が面白くて。国語の先生だったんだけど。話ができるし、こんなに面白いことをみんなに提供できるんだったら、高校の国語の現代文の先生って面白そうだなと(思った)。
(大川)授業自体が好きだったんですね。
そう。ずっと楽しいっていう感覚だけは残ってた。
(青木)こばたくさんずっと勉強が好きってわけじゃなかったんですね。
うん。全然。(中高は)劣等感の塊って感じだった。何も面白くなかったね。何が面白かったんだろ。たぶんね、ずっとゲーム。モンスターハンターずっとやってた。モンハンだけ。当時はスマホとかもなかったから。
あとゲーセンに行ってたね。周りみんな金持ちの人が多かったのね、わりと。両親が医者とか弁護士とかさ、そういう家庭が多かったからさ。そういう子たちが(ゲームを)やってるのを後ろで見てる。だから悲しい気持ちになるときが結構あって。て感じで、どんどんねじれてた。自分の中で。なんでみんなは学力もあるのに、財力もあるんだろう。自分は学力もないし、財力もない、みたいな。

プラン重視というよりは状況重視な人へ「変わった」—大学で受けた大きな影響

こばたくさんは、「国語の先生」になるために東京学芸大学に入学した。学力というよりは面接で「運良く」合格したと言える受験だったらしい。そして彼は大学生になり、あらゆる分野の研究者と出会い彼らから影響を受けるようになる。中でも、オーストリアの哲学者・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889—1951)は、彼自身の世界観を崩壊させた。

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(ヴィトゲンシュタインは)オーストリアの哲学者なんだけど。その人が「言語ゲーム」っていう概念を提案していて、それに出会ったときに、自分の中の世界観みたいなのが全部崩れて。なんだろ…なんだろうな…言葉の定義を考えるときに、辞書を引いてもしょうがないんだなって、そういう感じになったんだよね。だから計画を立てるときに、先行事例とかうまくいった事例を考えるけど、プランをきちんと立てれば必ず成功するっていう考え自体がそもそも幻想なんじゃないかって。むしろ、この場に落ちてる石とか、今歩いてるこの道をいったん左折してみたら何が面白いんだろう、みたいな感じでその場の〈状況〉に頭を集中させる(方が面白い)。プラン型の人間は、すごく魅力的な町中の甘いにおいとか、紅葉がきれいな道とか、街路樹がある道を歩いてるときに、Googleのマップを見てたりする。確かに計画的に最短のルートで到達はできるんだけど、その日自分がどういう風な人生を歩んだのかっていうのは、計画通りに道を歩いたっていう記憶でしかなくて、その日イチョウが何色だったかとか、そういうことにあんまり感覚がないなと思って。でもぼくはプラン型で良いと思ってたの。なんだけど、正木先生 とか鉄矢先生 とか美術の人たちとの出会いとか、ヴィトゲンシュタインとの出会いによって、なんか、崇高な〈計画〉よりも目の前で起きてる〈状況〉の方が大事なんじゃないかっていうことに、関われるようになった。昔のぼくだったら、〈状況〉はノイズでしかなくて無ければ無いほど良い、素材打ちっ放しのザラザラしてる机とかすげえ嫌だ(と思っていた)。有名な人が作ったわけでもない、箔がない、壊れて怪我しちゃうかもしれないし…とかいろいろ考えてイライラしてた。だけど(今の自分は)むしろこういう方が面白い(と思う)。

海賊王になりたい理由

(大川)将来の展望はありますか?
海賊王になる。
(青木・大川)【驚嘆、そして爆笑】
「少しでも多くのことができるようになって死にたい」っていうのが、ずーっとぼくのなかにある。でも、「できるようになった」っていうのは、その瞬間できなくても良い。たとえば、富士山登頂しましたっていうのは70歳でできなくても、過去にできた経験があれば良い。それはもうやれたことで良い。そうじゃないと気をつけなきゃいけないなって思ったのが、パフォーマンスが一番高いときに死ぬってことになるじゃん。やれることが少しでも多いときに死ぬってなると。「むしろ今じゃね」みたいな。「これから先できなくなっていくことの方が多くなるじゃん」って誰かに指摘されて、そうじゃないなって思ったから、厳密に言うと、少しでもたくさんの経験をして死にたい。やったことある、知ってる、読んだことあるっていうのが、少しでも多い状態で死にたい。それを増やしていくのが将来の展望。
(大川)なんかドMですよね。
それも言われるんだよね。なんかひとしきりしゃべった人ほど、Mっ気を指摘してくる。ぱっと見はSっ気のほうを言われるんだけど。
(青木・大川)いやいやいやいや。
(大川)常に自分に試練を与えてたい感じなんですかね?
できないことをやれるようになりたいっていう気持ちが強いのかもね。試練っていうより、結果それが試練になってるだけで。試練は嫌いだからぼく。試練を課したいとは思わない。ずっとゲームで遊んでるって感じ。
(大川)クリアしたい。
そう。だからテレビゲーム自体が好きっていうよりも、テレビゲームはそれをかなり小刻みにくれるから、ハマってたって感じ。だから、大学院では研究というものがゲームと同じ刺激を与えてくれるものになったから、(テレビゲームなどの)ゲームの頻度は減ったし。我慢したんじゃなくて、新しい知見に触れるってことが、今までゲームで新しいボスを倒すのとおんなじ(刺激になってた)。
(大川)手段が変わっただけ。
そう。だから学部の後輩に「こばたくさんってほんとに本たくさん読んでて、ゲームばっかりしてる僕とは違ってすごいですよね」って言われるけど、ぼくからしたら、ゲームしてるときのぼくと、本読んでるときのぼくの知的好奇心はまったく一緒。できなかったことができるようになるとか、知らなかったことを知る。「へぇこのボス倒すとこんな武器が手に入るんだ」っていう喜びと、「この本読んだらこんな知見手に入った」っていうのとおんなじ。

だからね、ぼくドキュメンタリーとか甲子園とか見れないの。甲子園とか見ててもマジでイライラしてくる。理由は、ぼくはあの年齢のときにホームラン打てなかったから。

まあ、何でも良いけど、やったことないことがやれたらいいなって思う。今の、今までの25年間の小林拓哉でやったことないことが、この先たくさんできたらいいなって。ほんと些細なこととかで良い。料理とか、遠くからロングシュート決めるとかだけでも、できなかったのができるようになったら、めっちゃ嬉しい。
〈できない〉を〈できる〉ようにしたい。それは、高校生の時くらいから変わらないよ。

文責:大川莉果
文字起こし:青木七海



【こばたく史のコボれ話】
(大川)結婚願望とかあるんですか?
あ、結婚願望はある。全然ある。自分の遺伝子を搭載した人間に会ってみたい。
(青木)搭載?
そう。
(大川)訳すと「子どもが欲しい」だよ。
そうそう。でも、あえてさっきの表現が正しいくらい。自分と同じ遺伝子を持ったやつが動いてたら、どう生きづらい世の中を生きていくのかがすごい楽しみ。不条理な世の中をどう…ふふ。
(青木)ああ、じゃあそれ相手大事ですね。相手のスペックも考えながら。
だから(結婚相手は)相当痛みとか感じない人とかじゃないとヤバい気がする。それか全部流せる人。「はいはい」みたいな。
(青木)こばたくさん痛覚あります?
ぼくはめちゃめちゃある。てか、たぶん超敏感で。だからずーっと「はいはい、はいはい」って言ってくれてる人の方が。だから年上の、もうなんかわりと悟ってる、お姉さんとかの方が。
(大川)もうブッダのほうが。螺髪系の。あ、伏線回収できたわ。
(青木)善福寺の。
(大川)善福寺の伏線回収したわ。今日はもう、ハッピーだわ。
(3人)【爆笑】