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タカタ先生インタビュアー:仲沢実桜

「あなたは変人ですね」と言われたら

真っ赤なニットベストが特徴的な高田さんに、変人としてインタビューすることについて尋ねてみた。一対一で対面していると、舞台の上の陽気さとは対照的に、真剣な顔つきをしていることに気づく。
「変人というものに憧れているところがありますよ。変人と思われるような奇行を昔から好んでやっていました。ありのままに自分を出せる環境で育った天然の変人さんにはかなわないな、って思ってしまいますね」

孤独に生きた中学生時代

自らの意思を強くもって生きてきた高田さんの過ごした環境はどのようなものだったのだろうか。
「ちっちゃな頃の話から遡ってお話ししましょうか。小学生の頃、すごく勉強のできる子でした。『俺、天才!』みたいなね。(笑)あとね、すごく目立ちたがりでした。中学生になる時に受験勉強して、地元(広島)の一番の進学校に入ったのだけれど、そうするとまわりが自分よりできるやつになるんですね。勉強についてはかるいおちこぼれでした。さらに、中学二年生の時に、学年で最も権力をもっていた生徒とバトってしまって」
いきなりすごい話がとびだしてきた。ドラマのような話にドキドキしながら、続く言葉に耳を傾ける。
「なんとなく学年全体の空気が、僕につくかそいつにつくか、みたいなものになって。で、ほぼ全員がそいつについた。孤立した状態になりました。もともとひねくれた性格だったから、スクールカーストの上の層にいる人たちの集団を離れたところから『つまんねえな』とか思いながら見てました。そういえば、お笑いはずっと好きだったのだけれど、このころからお笑い芸人を目指すようになりました。このころ強く思っていたのは、『内輪ウケの笑いじゃないことをしたいな』ということ。外のお客さんがおもしろい、って思ってくれるようにと意識しながらネタを考えていました。今思えば、当時のクラスの状況による自己防衛だったのかもしれないけれど。ヒエラルキーの上の人たちに対して、『おまえら笑ってるけど、所見のお客さんが相手だったらおもしろいと思ってくれるの?』って思ってた。高田さんらはお客さんに見せることを考えていないから、、まあ見当違いな批判ですけどね。(笑)」

授業の場がステージとなった

孤独の中でお笑いのネタを考えるエピソードとは、予想外なものだ。続けて、高田さんは高校時代をふりかって語る。
「中高一貫校だったから、時間が経過して高校生になると、友達も数人できましたよ。そして、高校二・三年生の当時、授業中にボケることが自己表現の場になっていたんです。これに命を懸けていた。いい具合(授業に関することであり、かつおもしろい内容)の質問を先生に投げかけるっていうスタイルです。バラエティ番組のひな壇みたいなものだったかな。でも、ポリシーとして、授業の邪魔はしない、というきもちはありました。この時、真剣に考えたということが、現材の教員としての授業研究っをする気持ちの根っこになっている気がしています。」

「教える」ことへの意識

高校で教鞭をとり、日本お笑い数学協会で講師もされている高田さん。その授業形式は対象や内容によって実に様々だ。小学生を相手にゲームのような授業を展開したり、大人を対象として試験の対策講義をしたり。イベントの司会を務めることや、動画サイトで授業動画の配信を行うこともしている。
「授業って落語みたいなものなんです。落語ってもともとのお話は決まったものがあって、授業も
『あてずっ法』や『いいいかげん法』なんてのもありますよ」
言葉遊びを楽しむ完成も持ち合わせている。

大学生活のとんでもエピソード

芸人になることを考えていた高田さんは、上京することを目指して東京の大学を受験した。
爆笑問題の太田さんへの憧れがあった。
入学式のエピソード
いっそふりきれた
大学の授業中も・・・
ひとつ覚えているエピソード
保健体育の授業で、女性の平均寿命が長いのは『定期的に指を切る等して、血を入れ替えたら長生きできるのでしょうか?』『量によるかな』
教授のツッコミも冴えていますね。

卒業研究のエピソード
一週目で終わらせるチャレンジ
レジュメ作成、しかし見てくれなかった
「くそ!めんどくせえなぁ〜!」って言っちゃいましたよ。

小金丼市市長選挙の選挙演説
許可を取るという発想がなくて、ゲリラでやったんです。でも、人は集めたいからって自分らでポスターをつくって構内に勝手に貼っていました。馬鹿ですね。
小金井祭実行委員とのバトル
「やめてください!やめてください!」って腰にだきつかれながらマジックのパフォーマンスを続行した。
行動力
大学の学部三年生の時に文学同人会に入り、仲のいい後輩が一人できた。。

反感を買ってもめげずに行動し続けられたのはどうしてでしょうか。
「例の仲のいい後輩がイエスマンで、一緒にやれていた、というのは大きかったのかもしれません。みんなから評価されることには頓着していませんでしたね。
今思い返してみると、確かに楽しいけれど、これではなかなか仕事にはならないだろう、と思いますね」
大学四年生の時、
文芸サークルが毎年綿菓子屋さんとして出店している。
例年通りのことをすればいいと思っている多数派に対して、変革を起こした。

社会の中でどう生きるか

高田さんにとって、社会に出て働き始めたことは大きな転換点になったようだ。
「商品にしなくちゃいけない。
自己をアイデアマンタイプで、チェックしたり持続させたりすることが苦手だと分析している。一人じゃできない。絶対、人と一緒にやるほうがいいんですよね。
アイデアを考えるのは楽しかった。たとえ反感買ってばかりでも、いままでのことも全部、楽しかったから、続いたんですよ。