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凡—固/変—動 小林拓哉『変人類学論考』

第6回Rootsでは、日々サポートしていただいている変人類学研究所よりプレゼンターをお願いし、「変人」をテーマに変人類学論考を用いながら進めた。変人類学への自分の無知さを思い知りながらも、イベントでは様々な意見が飛び交い、その中で特に印象に残った意見を3つプピックアップして書くことにした。

①変人の魅力
『変人は凡人を洗脳するのがうまい。詐欺師みたいなものだ。しかし、実行に移すため詐欺師ではない』
という意見があった。この話を聞くと、一人思い浮かぶ人がいる。その人の元にいる人は、そのどこからか来る、絶対的とも言える自信に、魅了されていく。この人の元にいれば、何かおもしろいことがあるかもしれない。この人の元にいれば、何かが得られるかもしれない。このように書くと、凡人はつくづく受け身な存在のように思える。しかし、話にもあったように変人がアクションするためには凡人の力が必要であり、変人も凡人もお互いなくてはならない存在である。イベントでは、変人が凡人の社会のニーズに動かされているのではないか、という話も出ていた。相互依存的なこの関係は、これからもきっと変わらないのだろう。

②個々の変人度があがっても、意味がない。それを受け入れる環境をどう整えていくか。
変人教育について考えると、「多様性教育」ともつながるのではないかと思う。1人変人がクラスにいたとして、その子が浮いてしまい、いじめにあう、という状況にならないように、どう環境を整えていけばいいのか。自身の経験を振り返ると、変人に出会った時、私の周りには「いいね」と言えるような環境があった気がする。壁をつくらずに、まずは受容してみる。受容できるかどうかは大きいのではないだろうか。私は受容することで、当初抱いていた変人に対するマイナスなイメージは、いつしかプラスへと変わっていった。しかし、大切なのは受容で終わるのではなくて、受容からの自分と相対化してみることが必要、いいねで止まるのは一番危険、とプレゼンターの小林さんよりお話しをいただいた。確かに、危うく思考停止になるところであった。

③変人類学研究と学校教育の接続
『例えば小学校の先生が、子どもたちの元から備えている変人の部分を潰さないように教育することはできるだろうか、いや、先生自身も没個性的な教育を受けてきたからそれは無理だろう』
という意見が出た。確かに、難しいかもしれない。少々結びが雑にはなるが、今回、イベントを通して私は「変人類学研究」の可能性を知ることができた。変人の部分を大切に伸ばしていく教育が現場で行われたら、それはどれだけ素敵なことだろう。今は難しいかもしれないが、きっと不可能ではない。これから様々な場所で研究が広がっていくのを楽しみにしつつ、今回は結びとさせていただく。

文責:松島響子